温暖化対策の論点

脱炭素化の時間軸至急示せ

気候変動とエネルギー領域 プログラムディレクター
田村 堅太郎


世界の平均気温は工業化以前から既に1度上昇しており、地球温暖化に起因するとみられる災害が世界各地で頻発している。気温上昇のレベルは人類の二酸化炭素(CO2)累積排出量に比例しており、排出し続ければ気温は上昇し続け、被害も拡大する。
温暖化を止めるためには、人為的な排出量と吸収量を差し引きで正味ゼロにする、つまり事実上、化石燃料を使わない「脱炭素社会」に転換するしかない。これが気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の出した結論である。
2015年の第21回気候変動枠組条約締約国会議(COP21)で定められた「パリ協定」は平均気温上昇を工業化以前より2度より十分に低く、できれば1.5度以下に抑えることに合意した。が、そのために世界のCO2排出量を正味ゼロとするタイミングは、1.5度以下で50年ごろ、2度では70年ごろである。脱炭素化への時間はせいぜい数十年しかない。
各国がこの時間軸でどのように脱炭素化を実現するのか、これがパリ協定の下で求められている「長期低排出発展戦略」(以下、長期戦略)に課せられた課題である。化石燃料に大きく依存する日本が脱炭素社会を実現するには大きな困難が見込まれる。しかし、できるかできないかではなく、現世代が覚悟して取り組まなければならない挑戦である。
19年6月に閣議決定された日本の長期戦略は、「今世紀後半のできるだけ早期」に「脱炭素社会」の実現を目指すという「ビジョン」を掲げている。このビジョン達成に向けて、民間主導のイノベーション(技術革新)の推進と金融界の積極的な役割により「環境と成長の好循環」を構築するとしている。
特に、温暖化対策をコストとしてしか見てこなかったこれまでの考え方とは異なり、温暖化対策を企業の競争力の源泉とみなしている点は非常に重要である。脱炭素化が不可避であるのなら、いち早く脱炭素化に向けたビジネスモデルを確立し、新たな市場を獲得していくことが企業の生き残り戦略の基本となる。

日本の温暖化ガス排出量
日本の温暖化ガス排出量


しかし、長期戦略に期待される三つの役割からみると、日本の長期戦略には不十分な点がある。
一つ目は、政府が脱炭素化への方向性と時間軸を明確に示すことで、企業や投資家らが経営・投資判断するのを支援することだ。しかし、日本の長期戦略で掲げられているビジョンは時間軸が不明確なだけでなく、緊急性という意味でも不十分である。
脱炭素目標の実現を目指す「今世紀後半のできるだけ早期」が一体いつなのかについて明示されていないものの、実質的には、温暖化を2度以下に抑える世界の排出経路(70年ごろに正味ゼロ排出)に沿ったものと解釈できる。しかし、今や国際社会は1・5度抑制に向けて動きだしている。9月の国連気候行動サミットでは70近い国々、100以上の地方政府、そして、100以上の企業・投資家が50年までの正味ゼロ排出目標を打ち出した。
日本の長期戦略も「地域・くらし」の部分で「2050年カーボンニュートラル実現」を打ち出しており、東京都、京都市、横浜市がこれを約束し、実現に向けた戦略策定を進めている。大阪府も同様の宣言を行った。日本の企業も50年正味ゼロ排出を掲げ始めている。日本の長期戦略は6年程度を目安に見直されることになっているが、こうした内外の動向や、日本でもますます深刻化している台風・豪雨災害に鑑み、適切な目標年について再度検討し、長期ビジョンを柔軟に見直すべきであろう。
二つ目は、中期的な排出削減目標のレベルやその達成方法が、適切なものかを検討する機会を与えることだ。しかし、長期戦略の策定中あるいは策定後に、日本の中期削減目標(30年度に13年度比26%削減)や電源構成(ガス27%、石炭26%、再生可能エネルギー22~24%、原子力20~22%)について、脱炭素化へ向けた通過点という観点からの検証はなされていない。
原発の比率は、再稼働のみならず建て替えを行わなければ達成できない数値であり、原発を取り巻く厳しい現状を踏まえると現実的とはいえない。では、原発が伸びない分を、脱炭素化に向けてどのように埋めていくのか。再エネのコスト低下が世界的にみられることをふまえて、早急な議論が必要である。
さらに、短中期排出削減目標達成のための政策・行動が、長期的な視点から見ると最適なものではなくなるリスクへの対処である。仮に30年26%削減に向けて漸進的な削減技術が導入されても、そこからの排出量が長期的に続くことになると、正味ゼロ排出達成の阻害要因となる。
その典型が石炭火力だ。長期戦略には、「非効率な石炭火力発電のフェードアウト等を進める」とある。しかし、正味ゼロ排出を目指すのであれば、長期的に排出を固定化してしまう石炭火力は、高効率であっても炭素回収貯留(CCS)付きでない限り建設できないはずである。世界的にみて、CCS付き火力発電所の導入・普及は遅れているが、高コストが最大の原因だ。過去10年間を見てもほとんどコスト低下がみられない。日本では地中に貯留するための適地の確保も問題となる。
三つ目は、限られた時間軸の中で、重点的に強化すべき技術分野を明確にすることである。長期戦略では各省庁が推進している多様な技術や政策を総花的に列挙しているため、何に優先順位を置こうとしているのかがあいまいである。
今後30年程度で、エネルギー、経済さらには社会システムの大転換が必要であることを考慮すると、早期の商用化、大規模導入・普及の可能性が低い技術のイノベーションに懸けている時間的余裕はない。発電部門のCCSを含め、長期戦略に挙げられている技術については、そのような時間軸に合っているのかの吟味が必要となろう。


もちろん脱炭素化した産業構造や社会システムの実現に向けての答えは、一つとは決めきれない。ただ、どのようなシナリオでもエネルギー需要を下げることを前提とするため、省エネ・節エネ技術は不可欠だ。
また、日本の長期戦略は再エネに加えて、水素、炭素回収利用・貯留を重点分野としているが、いずれにしても実現には多大なエネルギーをCO2フリーで提供する必要がある。原子力やCCSに不確実性がある状況では、再エネのコスト削減、大規模普及に向けた取り組みが優先されるべきであると考える。
一方で、政府が特定の技術に集中することには一定のリスクが伴う。市場メカニズムを通して、技術の選択、淘汰を促進するための中核政策を明確化する必要があろう。長期戦略の中では後ろ向きともとれる記述となっているが、カーボンプライシング(炭素の価格付け)の効果的な導入に関する議論なども活発化させていく必要がある。

2019年11月8日 日本経済新聞 経済教室掲載