IPCC SROCCインタビュー(平林 由希子氏)

「雪氷圏の変化は温暖化の重要な証拠の一つ」

平林 由希子 芝浦工業大学工学部土木工学科教授
IPCC海洋・雪氷圏特別報告書 第2章主執筆者
インタビュー日時:2019年10月28日/場所:芝浦工業大学/聞き手:甲斐沼 美紀子 IGES研究顧問


甲斐沼: まず、海洋・雪氷圏特別報告書で、平林先生が特に伝えたかったことを教えて頂けますか?

平林: 雪氷圏の変化は温暖化の重要な証拠の一つであり、雪氷圏を観察すると温暖化の影響をよく知ることができます。雪氷圏という言葉はあまり聞き慣れない方もいるかもしれませんが、氷河・雪・凍土が顕著な景観的特徴を持つ地域を指します。降水量などの気象現象は短時間で変化しますが、雪氷圏は本来非常に長期的にゆっくりと変化します。このような地域で氷河後退などの現象が確実に見えるということは、温暖化が実際に起こっていることを示しています。
私はこの報告書の中で、ハイマウンテンと呼ばれる標高が高い地域における影響評価を担当しました。これらの地域において氷河の融解が実際に観測されており、その結果として、氷河がある河川流域では水資源の絶対量が変化しています。氷河が融解すると一時的に水の量が増えますが、氷河の融解が続いて小さくなると、逆に水量は減少します。この変化は生活用水の多くを氷河由来の水に依存している下流の地域に特に大きな影響を及ぼします。一時的な水量の増加は洪水などの災害を引き起こす一方、ピークを超えた後の水量の減少は水力発電による電力量の低下、食料生産や水供給の不安定化を引き起こします。
日本はハイマウンテンには含まれていませんが、同様の現象は日本の積雪山岳地帯にも当てはまります。冬季の積雪は春先に雪解け水として私たちの生活に恩恵をもたらしています。しかし、積雪量の減少は水資源の減少につながり、稲作等の農業が影響を受ける可能性があります。また、雪ツーリズムに依存する地域の経済に負の影響をもたらします。例えば、報告書で引用されている論文では、過去にオリンピックが開催された地域のいくつかでは今後の開催が困難になると報告されています。
人間社会だけでなく生態系への変化も懸念されています。特に、冬に毛の色が変化するウサギやキツネなどの動物類、雷鳥などの鳥類の個体数や高山植物の生態にも影響が出ると考えられています。
今回この報告書の執筆に関与して、今後、温暖化がどのような環境の変化をもたらすのかを正確に伝えていく必要があると感じました。

甲斐沼: 平林先生は、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)第51回総会に出席され、IPCC海洋・雪氷圏特別報告書の政策決定者向け要約(SPM)が承認されるプロセスにご出席されたとのことですが、承認プロセスではどのようなことが主に議論されたのでしょうか?特に興味を持たれた議論などありましたら教えて下さい。

平林: ハイマウンテンにおける影響評価を主に担当し、SPM2に表の形でまとめました。この表では、ハイマウンテン、海洋、極地の3つの地域ごとに、それぞれ関連する論文をレビューし、影響の確信度、その影響の正負についてまとめました。複数の著者が分担してレビューをしたので、確信度や影響の正負の決定方針について綿密な認識統一と調整が行われました。その後のSPM会合では、各国の代表を交え議論しました。
表のなかで「評価無し」という白地の部分がありますが、ここは影響が見られないのではなく、ほとんどの場合、根拠となる英語論文が存在しないことを意味します。例えば、ハイマウンテンはスペイン語圏やアジアにも多く存在しますが、現地語がわかる主執筆者(LA)の助けも借りてできるだけ探したものの、査読付きの論文が未執筆の場合が多く、結果に含めることができませんでした。「評価無し」とすることで各国での対策が取りにくくなるという意見もありましたが、根拠のないデータを提示することもできず、表現方法に非常に苦労しました。
英語論文の不足は日本も例外ではありません。例えば、第2章の図2.2は山岳地域における年間平均地表気温の傾向を示していますが、日本のデータは1つしかありませんでした。山岳地域における気温データはきちんと計測されていると思うのですが、最新の変化についての英語論文が存在せず、反映できずとても残念でした。

 
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出典:IPCC海洋・雪氷圏特別報告書SPM図2を和訳
図1:海洋及び雪氷圏の変化により既に観測されている地域影響

甲斐沼: 「雪氷圏」という言葉はなじみがないのですが、具体的にどの地域を指すのでしょうか?

平林: 今回の報告書では、氷河・雪・凍土が顕著な景観的特徴を持つ地域と定義しています。ただし、極域は別の章で詳しく説明されているので、私の執筆した第2章には含まれていません。また日本の山岳地帯のように、冬季のみの積雪地域は逆に対象地域が多すぎてしまうため含まれず、夏季でも凍土や積雪がある地帯のみが対象となっています。

甲斐沼: 雪氷圏の変化として、「氷河・氷床の減少」、「氷で覆われた部分の減少」、「気温の増加」などが挙げられていますが、今回の報告書で、新たに分かったこと、あるいは確信度が上がった事象はありますか?

平林: IPCCの第5次評価報告書(AR5)と比較すると、地域ごとの変化により焦点が置かれ、前回より多くの項目について、詳細な地域ごとの影響評価が行われました。山岳地域など水循環の上流域における変化は、下流域における水資源や農業生産に既に影響が出ている地域もあり、これらの研究結果に関する論文も引用されました。

甲斐沼: ヒマラヤなどの山岳地帯では、氷河が近年融けているとの報道がありますが、どのような影響が出ているのでしょうか?今後の影響も含めて教えて下さい。

平林: ネパールやブータンにおける氷河の融解は水資源の減少につながると危惧されていますが、それに関して、実は詳しいことはまだわかっていません。氷河が融けているのか、降水量が減っているのか、その根拠がまだ不足しています。今回の報告書で引用されている論文は、雪氷圏からの影響がわかるものに限定されています。

甲斐沼: 海洋への影響としては、「海洋熱波」、「海面上昇」、「海洋熱エネルギーの増加」、「酸性化」、「貧酸素化」などが挙げられています。我々の生活にどのような影響があるのか、具体的に教えて頂けませんか?

平林: 海面上昇の原因として、4分の1程度は氷河の融解に起因します。例えば、海面が1m上昇したとしたら、25cm程度は雪や氷が融けたことによるもので、残り4分の3は海洋が温まることによる膨張に起因するものです。日本は海に囲まれた島国であり、海面上昇は大きな影響があると言えます。

甲斐沼: このままでは2100年に海面が最大で1.1m上昇するとのことですが、日本にはどのように影響するのでしょうか?

平林: 今までの研究の中で、海面上昇が1mを超える予測がされたことはありませんでした。今回の報告書で初めて1.1mという値が出てきたので、メディアで大きく取り上げられています。この1.1mという数値は、正確には予測期間中の最大値です。しかし、21世紀末の期間平均でも約85cmは上昇すると予測されていて、実際にこれだけ上昇した場合、それだけ高潮や高波の影響が世界の各地で大きくなります。
また、日本では砂浜が減少すると言われています。河川と海洋は繋がっており、海面上昇は河川水位上昇を同時に引き起こし、河川流域での水害被害のリスクも高めます。先の台風19号では本川の流水量の増加により、本川に接続する支流が流れ込めず逆流し、堤防決壊、氾濫等が相次ぎました。これは背水現象(バックウォーター現象)とよばれる現象で、テレビでも大きく取り上げられ一般的に広く知られるようになりました。同じことが海洋と河川の接続部でも起こると考えられます。

甲斐沼: 報告書には、貧酸素化は今後100年以上続くと書かれています。日本海でも貧酸素化の進行が懸念されています。今後さらに温暖化が進み低層水形成が完全に停止した場合に、約100年で日本深海層は無酸素化するという見積りもなされています(荒巻、2018)。そうなると生態系にも影響が現れると思われるのですが、どうでしょうか?

平林: 貧酸素に関しては、気候変動の影響のほかに、河川からの栄養塩の増加等物質循環に起因する場合もあり、どの要素がどの程度影響しているかまだ分かっていません。そのため、気候変動による影響度については確信度が低めに記載されています。

甲斐沼: 報告書のFAQ(頻繁に尋ねられる質問)の6.1に、「急激なリスクに対処する方法があるのか」との問いがあります。私は、この質問への回答は、究極には「排出量を減らすしかない」だと思うのですが、いかが思われますか?

平林: 海洋と雪氷圏の変化は、時間スケールという意味でも空間スケールという意味でも非常に大きく、温暖化が進行した場合の影響は深刻であることが報告されました。おっしゃるとおり、排出量を減らすことが重要だと思います。

甲斐沼: 最後に、平林先生がこれからなさりたいと考えているトピックについて教えて下さい。

平林: 持続可能な開発目標(SDGs)と気候政策とのシナジーとトレードオフについて、もっときちんと書くべきだと考えています。今回の報告書でも幾つかの部分で試みているのですが、うまく入り切っていません。研究も少ないです。
今回この報告書に関与して、この点をもっと進めなければならないと感じました。例えば、各大陸についてシナジーとトレードオフが描けるとよいと思っています。

甲斐沼: 素晴らしいですね。とても楽しみです。本日はどうもありがとうございました。