研究員の視点

重化学工業部門、輸送部門における炭素中立化は技術的および経済的に実現可能
―エネルギー移行委員会による報告書“達成可能なミッション”からの主要メッセージ―

2018年8月に「エネルギー移行委員会 (ETC: Energy Transition Commission)」が「Mission Possible –Reaching Net-Zero Carbon Emissions from Harder-To-Abate Sectors by Mid-Century-」を公表した。本報告書は、炭素中立(Net-Zero)が難しいとされる重化学工業(鉄鋼、セメント、石油化学)部門および貨物、船舶、航空など旅客以外の輸送手段(以下、貨物など輸送部門)を対象に、炭素中立の技術的可能性とそれを実現するための施策をまとめたものである。本報告書は、200人を超える専門家へのインタビュー結果に基づき、世界的にも著名なコンサルティング会社(Material Economics社、Mckinsey&Company社、University Maritime Advisory Services社、SYSTEMIQ社)によって、取りまとめたられた。炭素中立社会の構築に向けて、重化学工業部門および貨物など輸送部門における対策は大きな課題である中で、本報告書には炭素中立社会における将来の国内産業構造あるいは産業技術を見据えるうえで,重要な指摘が多く含まれている。従って、本稿は報告書の主要論点をセクションごとに取り上げることを目的とする。

セクションA. 達成可能なミッション:炭素中立が困難とされる部門において、それらを達成することは技術的および経済的に実現可能

本セクションの主要なメッセージは以下の4つである。

  1. 重化学工業部門では資源循環型社会の形成、貨物など輸送部門では、モーダルシフトおよびロジスティックスの効率性向上による製品、サービス需要の削減が鍵となる。
  2. 次いで、各セクターにおける省エネ施策が求められる。特に貨物など輸送部門における省エネ施策はCO2削減効果の高いものが多い。
  3. 供給側では、電化、バイオマス利用、CCS(二酸化炭素の回収・貯留)利用、水素利用といった炭素中立技術の利用が必要である。ただし、供給側の技術利用については様々な物理的、技術的な制約があることから、その利用可能性については更なる検討が必要である
  4. これらの対策は世界全体のGDPの0.5%分の投資によって実現可能であり、それによって炭素中立(Net-Zero)が可能である。

重化学工業では、循環型社会の形成によってCO2排出量が40%削減(内訳:石油化学工業56%、鉄鋼業37%、アルミニウム精錬業40%、セメント製造業34%)できる。これに対して、重化学工業における省エネルギーによるCO2削減分は15-20%と見込まれる。

貨物など輸送部門に対しては、エンジンの効率化、車体の軽量化といった個別技術面でのエネルギー効率改善によって35%から40%のCO2削減が得られる。また、モーダルシフトや配送方法の転換など社会システムの改善によるCO2削減分は20%と見込まれる。特に、陸上貨物輸送については電動化がガソリンエンジンやディーゼルエンジンと比較して2020年代にコスト優位になるため、バイオ燃料や天然ガスの使用は炭素中立に向けた暫定的な対策として位置づけられる。ただし、長距離を運行する船舶や航空輸送は、蓄電池エネルギー密度における技術的制約からバイオ燃料やアンモニアの利用の必要性が高いと見込まれる。

これらの対策を進めるための炭素価格は、鉄鋼部門では、60米国ドル(USD)以下、セメント部門では130USD以下、石油化学(エチレン生産)では300USD以下とされる。また、バイオ燃料の利用について、船舶では150―350USDであり、航空では115―230USDであるとされる。さらに、これらの費用は、①再生可能エネルギーの発電費用、②資源の再利用、モーダルシフトなどのエネルギー・資源に関する需要側の対策、③将来の技術イノベーション、によって大幅に下がる可能性を有している。また、これらの対策費用が消費者に価格転嫁される度合いとして、航空部門がもっとも大きく既存の航空券価格が10%から20%上昇する。他方で、鉄鋼部門の消費者による価格転嫁の影響は限定的である。例えば、自動車であれば一台あたり180USDの価格転嫁に抑えられる。ただし、これらの部門が炭素中立の状態に移行するまでの間、最終製品の価格が一時的に上昇することは避けられない。

供給側の対策については、様々な対策がある一方で、下記に示す通り、個別対策における物理的・技術的制約がある。

  • 各部門において水素の利用は重要な対策である。乗用車への利用に対しては期待される役割は小さいものの、再生可能エネルギーを用いた電気分解による水素の利用は、産業部門でその利用量は増加する。また、再生可能エネルギーを用いた電気分解による水素製造量は、2050年頃までには現在の水準の100倍にもなる見通しである。
  • CCSは、セメント製造業が最も必要とする技術である。鉄鋼業、石油化学工業、水素製造業に対しては、工場の立地場所によっては必要な技術である。電力部門におけるCCSの役割は限定的である。ただし、CCSの様々な技術的不確実性から、炭素中立に向けて必要なCCSの利用量については、エネルギー移行委員会内の関係者の意見の一致が得られていないことに注意が必要である。
  • 全ての部門において電化の促進は必須である。これは、再生可能エネルギーが化石燃料に対して価格競争力を持つということが前提である。例えば、地球規模でみると、炭素中立社会において必要な電力を生産するだけの土地は十分にある。2050年までに、炭素中立社会を達成するために必要とされる100,000TWhの発電電力量を得るには、太陽光と風力を年間で10%成長させる必要がある。ただし、電化は電力部門の炭素中立化と同時に進めなければ、CO2排出量をかえって増大させてしまうことに注意が必要であるので、電化を進めるタイミングは重要となる。
  • バイオマスについて、真に持続可能なバイオマス量に限りがあることに注意が必要である。一般廃棄物、農業残渣などのバイオマス資源を使っても持続可能なバイオマス量は70EJ(2016年の米国のエネルギー利用量と同程度)が物理的な上限値とされるが、2040年から2050年頃の全世界のエネルギー需要(550~600EJ)を満たすには、不十分な量である。従って、バイオマス燃料の利用が必須となる分野(航空、石油化学)が優先的に利用できるような部門を超えた協調が必要である。

セクションB. 炭素中立への道のり:重化学工業部門と貨物など輸送部門における炭素中立達成に向けた課題

重化学工業部門と貨物など輸送部門における炭素中立(Net-Zero)の達成に向けて、技術的課題、経済的課題、組織的課題が挙げられている。

  • 技術的課題:多くの技術が商用化されていないこと、特にプラスチックのリサイクル技術や排出を伴わない処分方法が確立されていない。
  • 経済的な課題:炭素中立を起こすほどの市場原理や投資インセンティブが現状では不十分である。また、重化学工業が有する耐用年数の長い施設が新たな技術の導入の停滞を招いている。初期投資の大きさが新規技術の導入の障壁となっている。
  • 制度的な課題:イノベーションを引き起こす制度が現状では不十分である。また、国際的な競争力にさらされている部門では、国内のカーボンプライシングは必ずしも望ましい削減効果を得られるとは限らないことから、国際的に協調した施策、国境調整措置、下流での炭素税といった対策が必要となる。

特に、製品の需要を減らすための技術は既に存在するものの、そのような技術をさらに普及させるには、製品のデザイン、既存の習慣や規制の改革が不可欠である。また、製品需要の削減に向けた社会システムの改革は単独の企業だけではできず、製造、輸送などのバリューチェーン全体で取り組む必要がある。

セクションC. 行動:政策決定者、投資家、企業、消費者ができること(そしてすべきこと)

炭素中立を達成するための具体的なアクションとして、循環型社会の形成やエネルギー効率を高めるために、以下の事項が強調されている。

  1. 製品のデザインの改善(空気抵抗の小さい車体のデザイン、廃棄時にリサイクルを行いやすいデザインなど)、素材の製造工程の改善(製造段階での廃棄量の削減、素材の寿命の向上、ICT技術を用いた素材の追跡、自動的な素材の分別など)
  2. 蓄電池の費用逓減および容量の増加と重化学工業部門、貨物など輸送部門における電化の促進
  3. 電気分解の費用、メタン改質費用、燃料電池費用などの水素製造に関わる費用の逓減
  4. プラスチック製品の廃棄時のCO2排出量を削減するために、バイオ化学、合成化学分野における技術開発
  5. ポルトランドセメントの代替品としてのポゾランセメントやバイオプラスチックなどの新たな素材の開発
  6. CCS費用の逓減

これらのアクションを促進させるための、主要政策として、Defined in Advance, Differenced, Domestic, Downstreamの4つの“D”を伴う十分なカーボンプライシング導入が必要である。

  • “Defined in Advance”とは、政策として導入される炭素価格を事前に周知し、将来導入される炭素価格の確実性を高めることで対策をすすめることを目的とする。
  • “Differentiated”とはセクターによって炭素価格を調整することである。例えば、船舶や航空部門に課せられる炭素価格は素材生産業に課せられる価格よりも高く設定するということが考えられる。
  • “Domestic”とは国際競争力とは無関係の産業から優先的に高い価格を課すということを意味する。例えば、海外との競争力にさらされる機会の少ないセメント部門は、海外との競争力が重要となる鉄鋼部門よりも優先的に課せられる。
  • “Downstream”とは炭素税の課税を下流側に課すことである。これも国際競争力への課題に対応するために有効である。また、多くの国では、ガソリンや軽油に対して、下流側に課税する類似の税制が既に存在している。

カーボンプライシングの補足的な施策として、省エネ基準やグリーン燃料調達の義務化、ラベリング制度などの規制的手段や炭素中立を可能とするインフラの公的支援、炭素中立を支える技術に対するR&Dの支援、炭素中立を支える技術の商用化までのファインナンス支援といった手法が重要である。

重化学工業部門および貨物など輸送部門の業界団体ができることは、今世紀半ばまでに炭素中立を達成するためのロードマップや、分野横断的なイニシアチブ(例:航空会社、空港、旅行会社による取り組みの促進)の構築や循環型社会形成のイニシアチブ(例:鉄鋼業界と製造業界のパートナーシップを構築し、廃棄鉄の回収・再利用の促進など)の構築が挙げられる。加えて、炭素中立に向けた取り組みを加速するための政治界へのロビー活動も効果が大きい。

重化学工業部門および貨物など輸送部門の個別企業ができることは、すでに先駆的な企業が取り組んでいるように、炭素中立に必要な技術のR&Dの促進、循環型社会形成に向けた企業間のパートナーシップの構築、産業クラスター内でのパートナーシップの構築、SBT(Science Based Targets)などの手法を取り入れた今世紀半ばまでに炭素中立を達成するための長期ビジネス戦略の策定である。

重化学工業部門および貨物など輸送部門の製品や活動に一般消費者が直接関わる機会が少ないため、一般消費者の役割は多くないが、ラベリング制度を通じた情報をもとに、よりCO2排出量の低い製品やサービスへの選択を促すことが考えられる。

おわりに

筆者はこの「Mission Possible –Reaching Net-Zero Carbon Emissions from Harder-To-Abate Sectors by Mid-Century-」によって、炭素中立(Net-Zero)が難しいとされる重化学工業部門および貨物など輸送部門でさえも、我々が考えることができる技術の範疇で達成が可能であるということに意を強くした。さらに、その取り組みが産業界および最終消費者にとって過度な負担になることはない、あるいは、長期的に見れば正の便益になりうる可能性があることも明快に記述されているが、確かにこれまでの技術革新によって、誰もが予想もできないような変化が起きることを、我々人類は経験している。そのため、本報告書でも指摘されているように、今回の内容よりもより容易に重化学工業部門、貨物など輸送部門の炭素中立化が達成できる可能性さえある。
同時に、これらの変化は何もしなければ起きないことに留意が必要である。本報告書が指摘するように十分な(affordable)カーボンプライシングが必須であるし、カーボンプライシングの効果を高めるための様々な政策手段が求められている。また、企業側もそれらの政策をより効果的なものになるように自らのビジネス戦略や他業界、他企業とのパートナーシップが必要であることが強調されている。
本報告書に見られるような包括的かつ客観的な情報に基づき、炭素中立社会に向けた施策やその実現可能性について、様々な分野のステークホルダー間で共通の認識が構築されることを期待する。

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