リオ+20は歴史の転回点となれるか?

2011年6月

10年に一度の祭典がやってくる。地球環境と人間の関わり方について多くの人々がともに考えるための機会は、1972年から10年ごとにめぐってくる。

「かけがえのない地球」をスローガンに開催された1972年のストックホルム会議(国連人間環境会議)、1982年の国連環境計画(UNEP)管理理事会特別会合(ナイロビ会議)を経て、1992年に開催されたリオ・サミット(国連環境開発会議)は「持続可能な開発」をキーワードに大きな盛り上がりを見せた。『環境と開発に関するリオ宣言』、『アジェンダ21』、『森林原則声明』といった「政治文書」や「行動計画」が採択され、さらに、『気候変動枠組条約』、『生物多様性条約』『砂漠化対処条約』といった成果を生んだ。2002年のヨハネスブルグ・サミット(持続可能な開発に関する世界首脳会議)はリオからの10年間を振り返り、より一層の取り組みを「実現させよう!(Making it happen!)」との思いを新たにした。

そして、2012年にやってくるのがリオ+20(国連持続可能な開発会議)だ。持続可能な開発に関するこれまでの取り組みの進捗とギャップを評価し、「持続可能な開発及び貧困根絶の文脈におけるグリーン経済」と「持続可能な開発のための制度的枠組み(IFSD)」の2大テーマを取り扱う。

誤解を恐れずに単純化すると、ストックホルムでは「環境」が主役を務め、ナイロビで「開発」が存在感を増し、リオで2大スターは共演を果たした。ヨハネスブルグでは「具体的な行動の実施」が強調され、そして再びのリオでは、持続可能な開発を実現するための手段としての「経済」と「ガバナンス」に焦点があてられる。抽象から具象へ、コンセプトから実現のための手段へと、10年ごとの歩みは一定の方向性を持っているようにも見える。一方で、ガバナンス制度設計上のマイルストーンは、ストックホルム会議を受けたUNEPの設置と、リオ・サミットを受けたCSD(持続可能な開発委員会)の設置だろう。設置からそれぞれ40年あるいは20年を経て、これらの仕組みが効果的に機能していないとの反省が、リオ+20に向けたIFSD議論の背景にある。

単なる政治文書の採択に終わるのではなく、多くの対立や立場の違いを乗り越えて、持続可能な開発を実現するためのガバナンス制度の青写真を描けるかどうかが、リオ+20の真の成果、すなわち単なる祭典を超えた成果として問われるべきだろう。

地球環境の保全と資源の持続可能な利用に対する先進国と開発途上国の責務については、『ストックホルム宣言』では「共通の努力」と謳われ、リオでは「共通だが差異のある責任」と修正された。グローバル経済の中心がG8からG20へとシフトし、温室効果ガスの国別排出量が大きく変化する中、経済新興国の責務はどうあるべきかといった課題もまた、制度設計の議論において大いに検討されてしかるべきだ。

持続可能な開発の3つの柱(環境、社会、経済)についての視座も重要だ。3つの柱は相互連関的で、これらの統合・調整が重要であるという時、頭の中には同じ大きさの3つの円が部分的に重なり合うあの図がイメージされていないか?これに対してUNEPは「環境」という土台に立つ「経済」と「社会」の2本の柱を描いて見せる。

『ストックホルム宣言』の第6パラグラフは「我々は歴史の転回点に到達した…」と始まる。40年前のことだ。

私の中では、大きさの違う3つの円が2重の内包関係(経済⊂社会⊂環境)を描く。地球という環境制約の中に人類を含む多様な生物が生存し、人間はそこに社会を作る。そこで人間が営む社会的活動の一部が経済。リオ+20は、生態系サービスを持続可能な形で利用する古くて新しい社会経済構造を構築するための契機となりうるだろうか?

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