“ブロックバスター・エコノミクス”
<大規模な成長経済>を考え直す

2011年2月

もし経済学者がディズニー映画のおとぎ話を書いたとしたら、ラストはきっとこんな風になるであろう。「…そして消費と生産はめでたく結婚し、経済は末永く幸せに成長しました。」

「帝国は滅び、人は死に、風船もいつかははじけるが、経済だけは成長し続けるのだ!」と信じているのは新古典派の経済学者だけかもしれない。経済学者が政治・社会・環境を登場人物に台本を書き、「成長」パラダイムが映画監督を務めたとしたら、ショッピングモールが結婚式場となり、神父は多国籍企業のCEOが、花婿付添人は投資家、花嫁付添人は販売員がそれぞれ務め、そしてGDP(国内総生産)には祈りと供物が捧げられる。映画は大ヒットとなり、先進国の閣僚たちは列に並んででも最前席のチケットを手に入れようとするであろう。しかし、どのシーンを見ても社会や自然は笑顔を見せることはないであろう。

「成長すべきか、せざるべきか?」GDPの規模が重要とされるこの世界では、こういった問いにスポットが当たることはない。環境汚染、貧困・社会的格差の増大、資源の枯渇、金融危機、気候変動等、そもそもGDPの追求によって数々の問題が引き起こされているにもかかわらず、GDPが増加すればこういった問題の大半は解決するとして様々な犠牲が払われている。そして、成長を目指す経済という「スリリング」かつ「センセーショナル」な大ヒット作品の中で、登場人物である我々はGDPの台本に沿って日々生産と消費に明け暮れているのである。しかし、一定レベルを超えた成長は必ずしも幸せをもたらさない。にもかかわらず、欧米諸国で書かれた成長志向の映画の台本は、今度はグリーンの衣をまとい、グリーン成長、グリーン技術、グリーン消費に見せかけて途上国に広まろうとしている。英国・サリー大学の研究者であるティム・ジャクソン氏はこういった傾向に対し次のように批評している。「これは奇妙なひねくれた経済のストーリーだ。我々は、日常は気にもとめない人たちに長続きしない感動を与える物をなけなしのお金を使って作るようせき立てられているのである。」

新たなストーリー

幼子を慈しむ母親の愛情はGDPには貢献しない。ジャズのジャムセッションや庭仕事の手伝いもしかりで、幸せと感じることをしても経済成長はもたらさないのである。一方で、がん治療のための出費や盗難保険の支払いは経済に刺激を与える。そのような中、人や地球の幸福度ではなく、物理的な規模に執拗にこだわるGDPに嫌気が差すという人が徐々に増えており、最近では「脱成長」を模索する動きが勢いをつけ始めている。

成長を追求することで世界の工業大国として一躍スターダムに上り詰めた日本には、今度は大規模な成長や拡大を目指さない「定常経済」へと世界を安全に導く格好のお膳立てができている。日本は、国内消費の低迷、国債の増加、天然資源の減少、そして高齢化に悩まされているが、これらを弱みと考えるのではなく、新しい経済にふさわしい台本に書き換えて、キャスティングを決め直し、新たな経済のステージを作る機会と捉えるべきである。まずは、[1]課税対象を所得から資源抽出・汚染へ移行する、[2]労働時間を減らして雇用機会を増やし、余暇の時間を増やす(つまり人生をもっと楽しむ!)、[3]地方・社会起業家を支援するインセンティブを高める、[4]各都市の中心部に地方の特産品・工芸品を扱う市場を設ける、[5]効率の良い技術を活用して新たなサービス体系への移行を図る等、比較的達成しやすい取り組みから始めるのが良いであろう。

従来の経済政策は物質的成長を目的としているが、人を幸せにし、豊かな社会に欠かせないものは、愛情を与え合えること、尊厳を保つこと、やりがいのある仕事、そして地域社会への信頼と帰属意識等である。経済活動に従事している以上、ある程度は定量化され、筋書きのある社会に身を置かざるを得ないが、結局のところ、人々を幸せにするものは、金銭で測ることのできないものではないだろうか。

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