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ムスタファ・カマル・ゲイ
(IGES研究員)

第1回 [2005年1月]
森島昭夫(IGES理事長)





E-alert Interviews 第7回 (July 2007)
現実の問題に即した有効な解決策を目指して

浜中裕徳
IGES理事長、慶応義塾大学環境情報学部教授

東京大学工学部都市工学科卒業。35年以上にわたり、環境省において地球環境政策の分野で活躍。特に、京都議定書とその実施ルールに関する政府間の交渉、2002年の持続可能な開発に関する世界首脳会議で同意されたヨハネスブルグ実施計画などの持続可能な開発分野の主要な合意、また、国際的な環境合意(特に京都議定書)を実施するための国家政策の作成に尽力。


---- 子供時代はどのように過ごされましたか?また、環境問題に係わるようになったきっかけを伺いたいと思います。

浜中:
小学生の頃、東京都国分寺駅の近くに住んでいたのですが、田園が豊かに広がる里地のような所で、近所の子供たちと一緒に、当時の男の子の憧れだった「チャンバラ映画」のまねをして、雑木林で拾った枝を自分の剣にして追いかけっこをして遊んでいました。田んぼが拡がり、小川にはメダカやタニシ、ホタルもいました。ところが、小学校の高学年~中学位になると、急速に都市化が始まり、周囲の環境も一変しました。自然が豊かに残っていた頃に子供時代を過ごすことができて大変よかったと思っています。

中学・高校時代は地理に興味があり、地図を眺めているのが好きでした。次第に都市に関心を持つようになり、都市計画を夢見て東大の都市工学科に進みました。当時、日本の高度経済成長を背景に、理工系学科の新設が多くあったのですが、都市工学科もそういった中で新設されました。大学4年生の時に国家公務員試験を受け、合格したのですが、考えるところあって、引き続き大学院で都市計画の研究をすることになりました。

大学院時代に学園紛争を経験
浜中:
ところがちょうどその頃、東大で紛争が始まりました。都市工学科でも「産学共同」の研究をめぐり、大学の自主性や独立性が損なわれるのではないか、「改革が必要だ」という議論がおこり、対岸の火事ではなくなったのです。さらに、学部の学生たちが中心になって全学的なストライキも始まってしまい、それが全国の大学に広がって大変な騒ぎになりました。

こうした中で、自分の進路について大変悩むようになりました。それまでは、都市づくりに携わりたいと考えていましたが、それが本当に自分のやりたいことであるのか改めて考え直すようになったのです。すると、ある助教授の先生が「厚生省(現在の厚生労働省)に公害問題を担当する人たちがいるので、そこに就職することを考えてみたらどうか」と言って下さったのです。自分では全く考えていなかった進路だったので、どうしたものかと随分悩みました。しかし、いろいろ考えてみると、確かにそれもひとつの道かもしれないと思うようになりました。そして、厚生省に入省し、公害、後の環境の仕事に携わることになったのです。


----厚生省に入られた頃、どのようなお仕事をされましたか?

実地で鍛えられた新人職員時代
浜中:
私が入省する前年の1968年に、厚生省がイタイイタイ病と水俣病について公害認定をしましたが、私はそのイタイイタイ病の原因とされたカドミウムで環境が汚染された地域における住民健康調査に携わりました。鉱山の排水が十分に処理されていないと、川の下流にカドミウムが流れて水田や環境を汚染し、最悪の場合にはイタイイタイ病が再発する恐れがあります。そこで、下流地域の住民に、普段食べている食事のメニューと全く同じものを用意してもらい、それを全部すりつぶして分析器にかけ、カドミウムの摂取量を測り、また、住民の尿や血液も採取して体内のカドミウムも測りました。それから、環境がどの程度カドミウムで汚染されているのかも把握しました。有害物質による環境汚染が人間の健康にどう影響するのかというメカニズムについて、実地での経験を通じて理解することができたことが非常に印象に残っています。

大気汚染の調査で印象に残っているのは、大阪の西淀川区という所です。当時は全国でも一番大気汚染が酷かった所で、喘息をはじめ呼吸器系に影響を受けた人たちも非常に多かったのです。新人職員ということで現地調査に入りましたが、亜硫酸ガスが充満していたのでしょうか、空気が全然違うし、もちろん視界も遠くまで見えないのです。大阪はかつて「煙霧の街」と呼ばれていましたが、まさにそういう状態でしたね。

また、大気汚染の予防対策として気象条件の調査もしました。仙台近郊で工業開発の予定があり、ヘリコプターに測定器を積み込み、気温や風向、風速といった地域の気象条件を調査しました。新人職員として現地に行きましたが、「測定担当者としてヘリに乗せてあげる」ということになりまして、乗りましたよ(笑)。前傾姿勢でぐうっと上昇するのですが、海岸に近いところで結構風もあり機体が揺れて、測定器を抱えながら相当ヒヤヒヤしましたが、面白かったですね。

国の職員の場合は、ほとんどがデスクワークなのですが、たまたま自分はこのように現地に行く機会があり、とてもよい経験になったと思います。


---- 環境省時代に印象に残っていることは?

浜中:
やはり京都議定書をめぐる国際交渉です。厚生省時代は国内の問題に対応していたので、自分が国際的な仕事をするようになるとは思ってもみませんでした。環境庁(現在の環境省)に移りそこで数年過ごした後、パリの経済協力開発機構(OECD)日本政府代表部に出向したのですが、それが国際的なことに目覚めるきっかけになったと思います。1980年代の終わり頃に、地球環境問題が国際的にも大きな注目を浴びるようになり、環境庁に「地球環境部」が作られ、私が初代企画課長になりました。1995年には地球環境部長に就任し、「国連気候変動枠組条約第3回締約国会議(COP3、京都会議)」の日本開催について正式決定を得ることが最初の大きな任務となりました。それからは、本当に嵐のような毎日が始まりました。

京都議定書をめぐる国際交渉
浜中:
1992年の地球サミットにも課長として参加をしましたが、その時は自分が交渉の主役という立場ではありませんでした。ところが、京都会議の場合は、外務省と通産省(現在の経済産業省)、そして自分の三者が最前線で、交渉の主役になるわけです。国際交渉は、各国の利害が直接的に絡んできますし、京都会議の特に最後の数日間は、想像を越えるようなダイナミックな動きがあって、「こうやって議定書ができるのか」と、身をもって実感しました。

当時の環境庁と通産省の間には、削減の程度を巡って意見の違いがありました。通産省には「削減はとても無理であり、最大限の努力をしたとしても1990年のレベルと同じ位に抑えるところまで」という強い考えがある一方、環境庁は「もっと努力すればできるし、そうするべきだ」と考えていました。京都会議の議長国として日本の提案をまとめる必要があり、首相官邸が調整を行い、京都会議に臨んだのですが、通産省の立場からすれば、日本政府の提案以上の削減はとても無理。一方、環境庁としては、京都会議で国際交渉はどう動くか分からないので、仮にもっと大きな削減ということで合意ができそうなときには、そうなってもいいじゃないか、という考えなのですね。

実際、京都会議の初めはそれほど予想と異なる展開にはなりませんでした。ところが、当時のゴア米国副大統領が、米国代表団に対して「もっとフレキシブルになりなさい」と言ったことから、アメリカが「われわれの出す条件を飲むなら、削減してもよい」と次のカードを切り始めたのです。そうなると、何とか削減をしようとしていたEUが、アメリカとの距離を縮めようとして、交渉が一気に動きだしました。アメリカとEUが合意に向かって真剣に交渉を始める中で、日本だけ「それは駄目だ」と断るわけにはいきません。日本が主催をしていながら、自分で会議をつぶすという選択肢は、政治的にはあり得ないのです。そこで外務省が中心なり、何とか日本・アメリカ・EUの新しい合意形成に向けて建設的に対応していこうじゃないか、ただし、国内の削減方針に大きな影響を及ぼさないようにということで、結果として、森林の吸収という問題について、それまでの日本の考え方を変えていくしかありませんでした。

このように、合意に向けて交渉が最後の局面で大きく動いていく中で、主要なプレーヤーであるアメリカとEUの歩み寄る方向が、日本の各省庁の思いと違うところにいってしまうと、その歩み寄ろうとしている方向について国内の関係者の間で何も合意されていないため、日本にとって大変難しい交渉プロセスになるのです。日本は、おそらく今でも同じような課題を抱えているのではないかと感じています。


---- 慶応義塾大学のゼミでは「レジ袋削減キャンペーン」を行っていると伺いました。机上の論理だけではなく、実践を学ぶことも重視されているのでしょうか?

浜中:
慶応義塾大学は、「実学重視」の伝統がありまして、特に私が教えている湘南藤沢キャンパスは「問題を発見し、その解決策を提示する」ということを非常に重視しています。また、「半学半教」と言って、先生が一方的に教えるのではなく、学生から逆に教えられることもあるわけです。学生には感受性の鋭さやエネルギーがあり、先生と一緒になって実際の問題に向かって汗を流してやっていこう、というような精神を持っています。湘南藤沢キャンパスでは、学生たちは、はじめに4年間で何を究めたいと思っているのかを明確にして、自分の目的を達成するためのカリキュラムを組みなさいと言われています。私は、これまで行政において、常に現実の問題に向き合って、政策的にどのように対処したらよいのかということに係わってきたので、学生たちにその点を教えられればと思っています。

現実の問題に向き合って、解決策を考える
浜中:
ゼミ(慶応では「研究プロジェクト」と呼びますが)では、学生たちにテーマを選ばせて研究をさせています。とかく学生たちは、大きなことを考えたがります。それは大変よいことですが、やはり現実の問題に触れて、ステークホルダーと議論や交渉をして、その中から一番よい解決策を探り、次に、ステークホルダーと一緒に実践してみて、うまくいくのかいかないのかをもう一回検証する、というプロセスがないと、やはり机上の空論に終わってしまいます。そこで、個別の研究以外に、ゼミ生の全員参加を義務づけて「レジ袋削減キャンペーン」を行っています。実施にあたっては、他大学での前例を調査し、生協と協議を重ねました。そして生協側が「レジ袋の有料化ならやりましょう」ということになって、実施にこぎつけたわけです。

具体的には、4月から一枚10円の有料化をスタートさせたところです。2カ月間のトライアル後に総括をして、今後の恒久的な対策を決めようとしています。有料化前は1営業日平均650枚程度のレジ袋が使用されていましたが、現在、平均80枚程度になっています。これには私自身も学生たちも驚きました。実際にやってみて、そこから反省をして、よりよい対策を最終的に出していく。これはPDCAサイクル(Plan-Do-Check-Action)といいますが、学生たちにとってたいへんよい経験になると思います。昨年容器包装リサイクル法の改正があり、今年の4月から施行されましたが、各地のスーパーでもレジ袋の有料化やマイバッグの持参率を高める試みが行われています。国レベルでの政策の動向と連動しており、テーマとタイミングもよかったと思います。


---- 最後に、IGESへの期待、そして理事長としての抱負をお聞かせ下さい。

浜中:
私は行政という立場から、また現在大学においても、実社会の問題に対してどのように有効な解決策を提示できるかということに係わってきました。IGESも、焦点はアジアになりますが、現実の問題に対して有効な解決策を目指すという使命において共通しています。IGESは来年設立10周年を迎えますが、IGESがアジアにおける諸問題に取り組んでいることを、色々な形でさらに示していく必要があると思います。世界は今、アジアがどうしたら持続可能な発展の道をたどっていけるのかについて大いに注目しています。アジアがうまくいけば、世界の持続可能な発展に向けて展望が開けるということですし、逆の場合は非常に深刻なことになります。IGESはアジアにおける国際的な研究機関としてユニークな存在であり、研究機関としてアジアの持続可能な発展に貢献できる可能性を持っているということは、大いにやりがいのある仕事であると思います。

IGESでは、多くの研究者がまだ若く、経験が不十分であるかもしれません。その中で、実社会の問題の解決に役立つような研究成果を上げるためには、ステークホルダーが何を考えて、どう行動しているのか、そこで何が課題になっていて、それを解決していくためにはどういうことが必要なのかということについて、具体的に理解していくことが基礎になると思います。IGESの研究者には、そのあたりをより一層意識してほしいと思います。私は理事長という立場で、研究者が一層力を発揮できるように、あるいはモチベーションをさらに高められるように心を配っていきたいと思います。

---- どうもありがとうございました。



インタビュアー:城戸めぐみ、北村恵以子 (情報発信・アウトリーチプログラム)


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