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(IGES研究員)

第1回 [2005年1月]
森島昭夫(IGES理事長)





  E-alert Interviews  第1回
社会を変える理論の力-環境法と戦略研究


森島 昭夫(元IGES理事長)


激動の時代を駆け抜けてきたIGES森島昭夫理事長(当時)に、学者になったきっかけ、法に対する思い、若い世代の研究者へ向けたメッセージを伺いました。



[略歴]
前中央環境審議会会長。1958年年東京大学法学部卒。1968年ハーバード大学ロースクール法学修士。名古屋大学法学部長、同大大学院国際開発研究科長、上智大学法学部教授等を経て、1998年から2007年3月まで初代IGES理事長を務める。2007年4月よりIGES特別研究顧問。


―― これまで、研究を始めさまざまな訴訟などにも携わってこられましたが、理事長が学者・研究者になろうと思ったきっかけは何ですか。
森島: かなり遡る事になりますが、私の生い立ちから説明した方が良いでしょうね。私は1934年(昭和9年)生まれです。第二次世界大戦終戦時は、小学校5年生で、北朝鮮の平壌(ピョンヤン)にいました。商売人の父は戦争ですべてを失い、家はロシア軍に接収されたので、母はその家に入った将校の家族のメイドをして、一年間戦後の生活を生きのびていました。日本へ帰国する時には、買収して乗っていたロシアのトラックから途中で降ろされ、38度線まで2日間掛けて歩いたのですよ。その後、米軍の船に乗せられ、2ヶ月かけて帰国しました。船上では、死んだ人が船から捨てられていくのをデッキから眺めていたのを覚えています。

崩壊する価値観
1946年(昭和21年)、母の故郷の群馬県に帰りましたが、その直後に出てきた東京では、すべてが焼け野原でした。当時はみんな貧乏でしたが、私たちもやはり貧乏な暮らしをしていました。国史も塗り替えられ、価値観も何もかもが変わった時でした。昨日正しかった事が、今日は正しくないと非難されたりと、全てが混沌とし、何を信じて良いのか分からないような時代でした。

社会への疑問と、法律という「幻想」
日本へ戻り小学校に通っていた頃、先生が「君は法律家になりなさい」と私に言うのです。まだ子どもだった私は、何が何だかよくわからないまま、薦められるままに開成中学に進学しました。中学に入ると、今度はそこの先生に「君は検事になりなさい」と言われました。学費など払う余裕もなく、中学3年生の時から奨学金を得て学んでいましたが、貧乏人が冷遇されているというのは常に感じていました。そんな社会の仕組みにも憤りを覚えました。その頃からでしょうか、「法律家は社会の不平等を正すためにあるのだ」と、ある種の正義感を持ち始めたのです。今思えば、法律に対して幻想を持っていたのでしょうね。こうして、大学へ進学し、司法試験を受けようと思ったわけです。

科学としての法律との出会い
大学では、民法の先生(川島武宜 かわしま たけよし氏)の影響を受け、科学としての法律の面白さを知りました。複雑な事柄を、スパッと明確に切り分けるというアプローチには、学生であった私は震えがくるほど感動をしましたね。学者になりたいと思ったのは、大学3年の時です。本来であれば、司法試験を受けるはずだったのですが、今思えば、司法試験に落ちたくなかったというのもあったのでしょう(笑)。そこで、「学者になる」とまわりに公言し、司法試験を受けずに大学で助手になる事になったのです。

実は、大学で研究をしている間に、自分が目標としていた裁判官が本当に社会の正義に役立っているのか、という疑問を持ち始めていました。他方で、法というものを、科学的に見ていく事に新鮮さを覚え、法という学問を社会科学として探求する事に意義を見出していたのです。そのような経緯もあり、学者になろうと考え始めたという事もあります。話は少しそれますが、IGESの研究が3年を1期にしているのには、大きな意味があります。3年が良いか5年が良いかは別として、限られた期間で成果を出し評価を受ける事は重要だと思っています。当時大学の助手は3年間で論文を書き上げなければなりませんでしたが、このように期間を限定する事で、ある意味追い詰められ、良いものができ上がるのです。私も、もっと時間があったら、良い論文は書いていなかったかもしれませんね。そういう意味では、期間を設ける事は良いモチベーションになると思うのです。


弱者の救済 社会を変える理論の力
話を戻しましょう。私は名古屋大学で教え始め、川島先生の方法論というものに非常に影響を受けていました。1966年、助教授として教え始めて5年程経った頃の事ですが、本格的に法を勉強するために、フルブライトの奨学制度を通じて、アメリカのハーバード大学法学部に留学しました。討論の場では容赦なく意見を求められ、随分鍛えられましたね。また、学問としての法も、実社会で役に立たなければ意味がない、とこの時強く思いました。

1968年に帰国した頃、日本では原因不明の公害が大きな問題となっていました。丁度、四日市公害訴訟*が起きた頃です。私は不法行為法を専門としていた事もあり、月に一度のこの裁判の傍聴に行きました。傍聴をしていて事実を知るに連れて、医学的に因果関係が明確でないこの事件では、原告、つまり病気になっている漁師の人々に法律上勝つ見込みが全くないのではないかと思われました。それでは理不尽に思い「法律は本当にこれで良いのか、何とかしなければならない」と、原告側につき活動を始めたのです。33歳の頃の事です。こうして原告弁護団のアドバイザー格で活動をし、共同不法行為**論という理論を展開し、結果的に、被害者たちは大型大気汚染訴訟の中で、歴史的な勝訴をしました。


法律は諸刃の剣
これらの経験を通じて、法律は諸刃の剣である事を実感しています。法律は、放っておくと強者に都合よく利用されがちです。一方で、使い方によっては弱者の力となり得ます。こう言うと格好が良く聞こえてしまうかもしれませんが、私は、弱者に向けられる剣になりたくないのです。と同時に、弱者の側に立っているだけでもいけないと思います。外で吠えていても何も変わりません。例えば、政府の審議会などに参加する事により、弱者の立場を強くする剣を用意することができるかを考える、それも一つのやり方なのです。被害者救済制度を構築する事にも貢献してきました。私はあまり妥協をする方ではありませんし、弱者の立場から見て、その時点でできる事を最大限すれば、社会的にも通用するのだと信じています。
―― 科学としての法律、弱者のためになる活動への信念を強くお持ちですが、今、IGESという戦略研究機関の理事長という立場で、その信念はどのように影響していますか。理事長の考える戦略研究とは何でしょうか。
森島: 政策判断というのは、さまざまな価値が対立する時に、あるいは多様な選択肢がある時に、なぜその選択が最善なのかという事を考えるわけです。その判断のためにきちんとした科学的データを元に論理を示す、という事が、私の考える戦略研究なのです。根拠に基づいた論理がなければ、政策提言、ましてや弱者のためになる政策提言はできないですよね。何をしようとしているのか、そのためにはどのようなやり方があるのか、その判断の根拠を示す事が重要なのです。

―― 研究者の中には、自分の研究の過程で迷いを感じる事もあるかと思います。理事長はこれまで、迷いを感じた事がありますか。
森島: 迷いという意味では、迷いだらけでしたよ。ただ、戦中戦後の価値観が大きく変わった時代に、目の前で人が殺されていくような経験をしてきたせいもあり、普遍的に信じられるものはないと思うようになりました。しかし、目の前で起きるいろいろな事に対し、迷っていたら何もできなかったですね。ですから、一つの価値観に固執せず、常に自分自身で考え、自分自身で責任を取る、そういう生き方が大切だと思うのです。

若い研究者へ
―― お話を伺っていて、弱者に活きた法律にしたいという思いに大変感銘いたしました。日本の若い世代は、命に関わるような困った体験もしていないですし、研究などに対するモチベーションが希薄な気がしますが、そんな中、若い世代が偉業を成し遂げる事はできるでしょうか。
森島: 恵まれた環境にいるという意味では、今の日本は全くの例外だと思いますよ。ですから、良い条件に置かれた事に感謝しながら、悪い条件に置かれている人々をいかにして助ける事ができるのか、それを考えて欲しいと思います。無理に私と同じ経験をする必要は全くないのです。自分の置かれた条件の中で、何ができるのかを考え、行動すれば良いのだと思います。そういう意味では、私と状況が違っていたとしても、それぞれの状況にあった活躍をしようと思えば、それなりの活動ができるのだと思います。

今後のIGES
―― IGESの研究者も、偉業といえるような成果を上げていけるでしょうか。
森島: そうですね。まずはIGESの中で、共通した戦略研究の認識を確立していきたいですね。今後2年位で、単なる研究機関ではなく、戦略的な政策研究を行い、「問題を解決するために、このような方法でアプローチする」といった、データに基づいた具体的な策を示す機関にしていきたいと考えています。そのような共通認識を持って、皆で協力して研究を行う事が重要ですね。

―― 理事長にとって、学者・研究者としての「醍醐味」は何でしょうか。
森島: 私は極めて好奇心が強い方だと思います。分からずに悶々と考えていた事に、ある時ハッと「これだ!」と思いつく瞬間は、それこそやめられない瞬間ですね。一つの視点を切り開き、見つけるというのは楽しいものです。勿論、「これだ!」と思う瞬間に出会うためには、基礎的な勉強が必要です。常に頭の一部に問題意識を持っている事が重要ですね。
―― どうもありがとうございました。
 



インタビュアー:小山玲子、城戸めぐみ(情報発信・アウトリーチプログラム)
*四日市公害訴訟
1967年に、三重県四日市市で起きた訴訟。戦後、四日市市で化学コンビナート建設の進行につれ硫黄酸化物による大気汚染がひどくなり、ぜん息の患者発生が顕著になった。患者が昭和四日市石油、三菱油化、三菱化成工業、三菱モンサント化成、中部電力、石原産業の6社を相手取り、民法第709条(過失責任)および719条(共同不法行為)で訴え、勝訴した。
**共同不法行為
数人の者が共同の不法行為によって他人に損害を加えた場合、共同行為者のなかで実際に損害を加えた者が明らかでない場合、及び教唆者・幇助者は生じた損害全額につき連帯して責任を負うという民法上の制度。民法719条に規定されている。

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