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アジアの生物多様性保全に新風を -求められる融合的な政策

急速な経済成長により都市化が進むアジアでは、生物多様性保全が喫緊の環境問題のひとつとなっており、特に生物多様性の持続可能な利用と開発の両立が大きな課題となっています。また、気候変動に伴う大規模自然災害や東日本大震災による原発事故等、環境全体への深刻な影響が懸念される事象も発生するなど、生物多様性や人間を取り巻く環境は厳しさを増しています。
このような中、今回は、都市部における生態系復元・創造に関する研究を進める田中章東京都市大学環境情報学部教授に、アジアの生物多様性保全に求められる革新的な視点についてお話を伺いました。

田中章
東京都市大学環境情報学部教授。農学博士。東京農工大学農学部環境保護学科卒業(植生管理)、ミシガン大学大学院ランドスケープ・アーキテクチャー修士課程修了(環境計画)、東京大学大学院農学生命科学研究科博士課程修了(緑地学)。パシフィック・コンサルタンツ・インターナショナル、野村総合研究所、海外環境協力センター主任研究員を経て現職。
関連リンク:
東京都市大学環境情報学部環境情報学科(ランドスケープ・エコシステムズ)田中章研究室
2011年8月
アジアの生物多様性保全に新風を
―求められる融合的な政策


東京都市大学環境情報学部教授
田中章先生


アジアと欧米で異なる歴史的背景

---1.COP10を機に、生物多様性保全に係わる制度的議論が活発化しています。中でも、都市化や開発と関連して「生物多様性オフセット」や「生物多様性バンキング」が注目されていますが、日本、そしてアジアで導入は進んでいるのでしょうか?

田中:
欧米先進国では生物多様性保全に関して「生物多様性オフセット」(*1) や「生物多様性バンキング」(*2) といった手法が浸透していますが、アジアでは今、議論が始まったところという感じでしょうか。開発により消失する生態系を復元・保全する費用負担は、欧米では汚染者負担原則(PPP: Polluter-Pays Principle)により、事業者責任がまず問われますが、日本を含むアジア諸国では自然消失に対する問題意識は低く、対応するとしても受益者負担の原則(BPP: Beneficiary-Pays Principle)が優先し、すぐに環境税の徴収といった議論につながる傾向があります。つまり、欧米とアジアでは自然に対する考え方が根本的に異なるため、こういった手法の導入に大きな差が生じるのでしょう。

その背景には、自然や自然保護に対する歴史の違いがあります。古くから、欧州では牧畜によって、北米では19世紀のゴールドラッシュによって自然は破壊され消失し続けました。自然は克服すべきものという認識があったからこそ、米国では19世紀のエマソンやソローのような自然と共生する重要性を説く哲学や学問が生まれたのです。さらに、自然復元を進めようとすると、今度は、欧州や北米の乾燥した気候下での自然復元の困難さに直面することになります。私の卒業したミシガン大学の自然保護関連学部は世界で最も古いのですが、まさにこの時代に誕生しました。一方、高温多湿のアジアのモンスーン地帯では放っておいても草木は生えてきます。自然保護・復元ということを特段意識しなくてもよかったのかもしれません。日本の環境問題は産業公害が起点です。その後、日本でも人里離れた地方の自然保護は定着していきましたが、人々の生活空間や産業空間における自然保護、即ち生物多様性保全は長らく「抜け」状態になっていました。

本来、日本を含むアジア諸国は、伝統的に自然と共存する叡智を有していたのですが、高度成長期の無秩序な都市化に伴い、世界有数のそれらの叡智が忘れ去られているのは何とも残念なことです。欧米とアジアでは自然保護に対する歴史や意識の違いがあり、自然復元の制度面で時間的な開きがあります。しかし、生物多様性オフセットに関しては、フィリピン、タイ、ネパール、パキスタン、中国、韓国、インド、ベトナムの8カ国で制度化されており、日本でも1999年に施行された環境影響評価法に「代償」という文言は導入されました。2010年のCOP10を機に行政だけではなくむしろ産業界にこの概念が広まりつつあり、今後の具体的な展開が期待されるところです。




「里山バンキング」を提案

--- 2.先生が“里山を一石二鳥で解決する革新的かつアジア的メカニズム”と提唱されている「里山バンキング」について教えて下さい。

東京都市大学横浜キャンパス中庭の
ビオトープ・パッケージ
(2010年12月エコプロダクツ大賞受賞、
2011年7月 東急環境賞受賞))
田中:
開発による自然の消失と利用しなくなったことによる自然の荒廃という二重の問題に直面している里山に関して、米国、ドイツ、オーストラリア等で盛んになっている、「生物多様性オフセット」の市場経済手法「生物多様性バンキング」の仕組みを応用すると同時に、日本古来の里山利用と管理の叡智を受け継ぐ若い人材育成も柱に、動植物と人間の共存共栄を図る新しいメカニズム、「里山バンキング」を提案しています。

里山バンキングでは、土地所有者が放置された里山を里山バンクに提供することで先祖代々続く里山生態系を健全な形で未来に引き継ぐことができます。里山バンクは、専門業者と専門家の指導を受けた市民やNGOにより、里山の復元、増強活動を行います。この過程で里山管理の専従者となる若者の人材育成をします。第三者機関がその自然復元や増強の効果を定量評価します。一方、この地域周辺の開発事業者は里山バンクから生態系復元・増強分のクレジットを購入することによって、自分たちの開発により消失する自然に対する生物学的な補償(生物多様性オフセット)を果たすことができます。また、自治体は里山バンクの設置を緑のマスタープランなどに沿った位置に誘導するなど、戦略的な土地利用を実現する手段として利用できます。従来型の助成金や税の軽減などの施策も合わせてこれらの立ち上げを支援します。つまり、里山バンキングでは、これまで完全なコストあるいはボランティアであった自然復元や維持という里山管理が新たな経済活動として展開できるようになり、同時に里山の生態系保全と地域住民の積極的な利用が可能になるわけです。

現在、東京都市大学の研究室によって、北海道の下川町、千葉市、横浜市でパイロット研究を実施しています。今後、ステークホルダーとの議論や試行を重ねることで、生物多様性保全を促す革新的メカニズムのモデルとしてアジアや世界で展開できるようになればと思います。




“アジアの叡智”と“欧米の合理性”

--- 3.アジアでは引き続き経済成長・都市化が進むと考えられますが、持続可能な開発の視点から生物多様性保全をどのように進めるべきでしょうか?

田中:
古来より、日本やアジアには、自然環境と上手に付き合っていく知恵が沢山あります。しかし、環境問題、特に開発や経済活動による自然破壊のスケールと速度は極めて大きく、その間接的、累積的影響も複雑かつ長期になるので、従来の知恵だけでは太刀打ちができません。持続可能な開発を進めながら生物多様性保全を図ることはアジアにとっての最大の課題であり、従来の叡智を最大限に発揮しつつも、欧米の合理的な環境保全政策の本質を学び、融合させていくことが重要であると考えています。その意味でも、日本の里山問題の解決に生物多様性オフセットとバンキングの考え方を取り入れる里山バンキングはひとつの挑戦であると思います。生物多様性保全をどこか離れた場所の特別な問題と捉えるのではなく、自分の生活する空間、朝起きてから夜寝るまでの活動範囲での問題として捉えられるような都市生活者に対する自然環境教育を地道に実践していくことも必要です。



「想定外」の環境問題をなくすには?

--- 4.最後に、福島第一原発事故は収拾の目途がいまだたっておらず、環境に大変深刻な影響を及ぼしています。このような「想定外」の状況はアジアでも発生する可能性がありますが、今回の原発事故を通してどのような教訓を得ることができますか?

田中:
生物多様性を含む生態系保全を効果的に行うためには、悪影響を未然に防止するための環境アセスメント(環境影響評価)制度のあり方が鍵となりますが、今回の原発事故ではこの環境アセスメントの重要性を改めて感じました。環境アセスメントは、深刻な環境影響が「想定される」事業に対して、一般市民が情報を得たり、意見を述べたりできる唯一の制度であるにもかかわらず、日本では、1999年までは、原子力を含む発電事業は共通の環境アセスメント制度(1984年環境影響評価閣議決定要綱)の対象からは除外されており、1984年以前には日本には共通の環境アセスメント制度はそもそも存在しませんでした。ちなみに今回事故を起こした福島第一原発の一号機は1967年に着工しています。1999年に原子力を含む発電事業が共通の環境影響評価法の対象となったとはいえ、同法による評価項目の中には放射線汚染は含まれていません。さらにこの環境影響評価法の後に制度化された、事業のより早い段階で実施される戦略的環境アセスメント制度(2007年戦略的環境アセスメント導入ガイドライン)においては再び、それらは対象外にされています。

日本やアジアでは環境アセスメント制度はあるもののその適用範囲もその効果もきわめて限られているのが実情です。例えば、米国では国レベルで年間5,000〜6,000件程の環境アセスメントが実施されていますが、日本では年間20件程度です。これは、米国では環境に対する影響があると思われるものに対して臨機応変に適用されるのに対し、日本では最初から限られた大規模開発事業のみを対象とするというスクリーニングの仕組みがまったく異なるからです。


どうしたら良いのでしょうか?まずは、自分たちの環境アセスメント制度とその適用の実態を知ることが、「想定外」の環境問題をなくしていく第一歩になると思います。同時に、本来の環境アセスメントの仕組み、特にミティゲーション・ハイエラルキー(環境保全措置の優先順位)を理解することも大切です。ミティゲーションには「回避、最小化、代償」の3段階があります。環境影響の中で回避できる悪影響はまず回避すること(事業の中止を含む)が最優先されなければなりません。しかし、様々な理由で回避できない影響は最小化する。最後に回避も最小化もできずに残ってしまう悪影響については最後の手段として代償する。生物多様性分野の場合には、この代償ミティゲーションが生物多様性オフセットなのです。この3種類のミティゲーションをこの順序で検討し、その結果を情報公開することこそが環境アセスメントと言っても過言ではありません。残念ながら日本の環境アセスメント制度では、このようなミティゲーション・ハイエラルキーが今のところ明確になっていません。

回避→最小化→代償のミティゲーションをきっちり実施するために重要なことは、様々な人間行為に対し、事前に、環境への悪影響を例えばHEP(ハビタット<生育・生息環境>評価手続き)(*3) などの評価手法を用いて定量的に評価することに尽きると思います。どれだけの環境影響があり、そのうちどれぐらいがどのように回避され、どれぐらいが最小化され、最終的に回避も最小化もできない悪影響がどれぐらい残っているのか。それに対する最後の手段としての代償ミティゲーション(生物多様性オフセット)はどれぐらいの規模になるのか。今回の原発事故にもあてはまりますが、開発の早い計画段階に、野生生物やそのハビタットに対する影響だけではなく、ヒトやそのハビタット、文化、歴史といったものに対する代償ミティゲーションの種類と規模について、事業者が認識することが可能であれば、事業者の自己防衛のためのリスク回避の判断が働き、このような事故の発生はかなり早い段階で回避あるいは最小化されているのではないでしょうか。

今後の日本は、ハード面だけではなくソフト面においても、前述した「里山バンキング」のように、日本や他のアジア諸国古来の叡智と欧米先進国の合理性を融合させた効果的で持続的な仕組みを他のアジア諸国と一緒にお互いに学びながら推進していくことが重要だと思います。



--- ありがとうございました。


---------------
*1:生物多様性オフセット:開発などの人間活動によって、生態系やハビタットの空間的消失が避けられない時、事業者の責任で同様な生態系やハビタットを近隣に復元・創造・維持すること。世界約50カ国で制度化されている。代償ミティゲーションともいう。
*2:生物多様性バンキング:それまで個別の事業対応で行っていた「生物多様性オフセット」をまとめて第三者(バンカー)が行う仕組み。自然を復元したり、保全したりすることがコストではなく、経済的活動になる市場経済手法。
*3:米国Fish and Wildlife Serviceで開発され、世界で最も利用されている野生生物ハビタットの定量評価手法。日本には、90年代に著者によってアジアのモザイク状の土地利用に適した手法として導入され、「HEP入門(朝倉書店)」が出版された。現在、韓国でもこのアジア版HEP本の出版準備が進められている。




「Monthly Asian Focus: 持続可能なアジアへの視点」について

IGESでは、1998年の設立以来、アジア太平洋地域における環境問題や環境政策の動向をとりまとめた「アジアの環境重大ニュース」を毎年末に発表してきました。2011年からは、“持続可能なアジア”をキーワードに、ダイナミックに動きつつあるアジアの環境動向を、第一線で活躍する専門家の視点・考察とともにタイムリーにお届けします。
 
   
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